うちで踊ろう

2020年大晦日 紅白歌合戦

 

『うちで踊ろう』

 

2020年、私はこの曲に幾度となく救われた。

 

緊急事態宣言が出てもなお(というよりも出た故に)アルバイトの日々だった私に楽しみを与えてくれた様々なアイデアが生まれるきっかけの曲であった。

 


彼の楽曲は安易にみんなでひとつになろうと言わないところがいい。

多分これはずっと前から一貫している彼の考え方なのだ。自分以外は皆他人で、ひとつにはなれない。全てを分かり合うことはできない。ひとつになることを、わかり合うことを、諦めることで進んでいく。

 

ところがこの『うちで踊ろう』は「ひとつにはなれないけれど“重なり合う”ことはできる」というメッセージを含んでいた。

 

考え方はこれまでと一貫しているが以前よりも少しだけ人と関わることを諦めないぞという気持ちがあるのが伝わってくる。そこに私は救われた気がする。

 

ああ、遠い場所にいる人とも関わりを持つことができる。会えないけれど繋がることを諦めなくてもいいんだ。諦めなければならないことが多くある中で少しでも諦めたくないものを手繰っておいていい。そんな気持ちになった。

 

それと同時に「外側の人をつくらない」という気概を感じる。そういう人をつくらないよう思慮していると思う。というかしているのだ。

 

いつもどこのコミュニティにも属すことのできない私にとって唯一“内側”にいられるのが彼の楽曲の中なのだ。ここにいていいんだと、ここなら居場所があるのだと、そう思えるのは彼の言葉の中に身を埋めているときだけなのである。


どんな人も包含する言葉選びはそう簡単にできないように思う。

「誰か」対象の1人のことを歌えば、その1人の特徴に当てはまる人にしか届かない。しかし「誰も」のことを歌えば誰もに届く。言葉にすれば当たり前だが、「誰も」すべての人を含む言葉選びをすることには相当の思慮があるはずで、引き出しが多くなければ出てこない発想だろう。


『うちで踊ろう』に限らず、誰もに当てはめようとする言葉選びは『恋』『Family Song』『Ain‘t Nobody Know』など恋愛ソングにも色濃く出ている。


コロナ禍で誰もが苦しい状況に陥ったときこの曲は様々な人に当てはまる言葉を以って、手を差し伸べてくれたのではないか。そう感じる。

全員に届いたかと言ったらそうではないかもしれないにしろ、現にこれほどまでに社会現象を巻き起こし、多くの人の目に触れ、海外にまで伝わったことがそれを物語っている。


あともうひとつ、この曲の好きなところ。

共に生きていこうみたいな気持ちを感じられるところ。「〜しよう」という押し付けがましくない言葉で一緒に生きようね、一緒に生活を送って一緒に乗り越えようねと言ってくれているような言葉たちが、どんな人も今共に同じ世界で生きているんだと思わせてくれる。

そこもまた好きなポイントのひとつ。


私は彼の言葉が好きだ。とにかく好きなのだ。漠然とした表現すぎて何も伝わらないであろうと思うが、なんにせよ好きなのだ。

私の存在もちゃんと含んでくれるから。


そして昨日の紅白歌合戦

合戦と言いつつ昨年同様ピンクの服を身に纏い姿を現した。それだけでもなんだか涙腺が緩んだ。


ギターの弾き語りがあり、(ファンには)おなじみのイントロが入り、歌に入る。


一番は一緒に楽しもう、重なり合おう、という歌詞だったのに対し二番では今までと変わらない日常を映し出した歌詞だった。


正確には変わってしまった日常の中で変えられない生活の断片のようなものを大事に拾っている感じ。そこを大事にしたいな、みたいなね。日常が変わってしまったのなら、変わってしまったからこそ生活を営むことの大切さを今一度見つめて、心が疲れたときこそ普通を重んじる、みたいなね。ね。


「今何してる? 僕はひとりこの曲を歌っているよ」という歌詞から、自分と相手との間に物理的な距離があるのがわかるけれど日常的に交わすようなこの会話からその距離を埋めてくれる心の距離の近さがうかがえる。


そういった身近さとあたたかさを感じた。


そして「常に嘲り合うよな 僕ら それが人でもうんざりださよなら 変わろう一緒に」


コロナ禍で浮き彫りになった悪意や敵意を向けてくる人々に対してだろう。こういった棘のあるところにもグッときた。みんなの味方でいる面もありつつ悪意を向けてくる人には容赦なく向かっていく側面もあるところに。それも作品として形にしているのがいい。


優しい言葉をかけるだけではなくて、綺麗な言葉で自分の考えに近づけたり相手を正そうとせず、汚い現実に共に向かっていってくれる、寄り添ってくれる、そういった曲に感じる。いいなあ。


私はこういった棘々しさと生々しさも星野源を好きになった理由の一つなのだと今になって気づく。『Same Thing』も『Ain‘t Nobody Know』も『アイデア』もそう。社会が新しい形になっていく中でもまだ昔の形式にこだわる人や自分へ悪意を剥き出している人への棘々しさ。今年これだけの人々に届き、元気付けた楽曲であり、しかも紅白の舞台でこの様な言葉を発したところにグッときた。


そしてそして「僕らずっと独りだと 諦め進もう」


冒頭の方で私はこの曲から誰かと関わることを諦めなくてもいいと思ったと言った。ところが「僕らずっと独りだと 諦め進もう」ときた。だけども私はこの歌詞にもまた心奪われた。結局のところ、会いたい人にはほとんど会えずに時間は過ぎていった。希望を持ちたいが正直なところ叶わないことの方が多かった。


一見ネガティブなようでいてポジティブ。しかも手放しにポジティブというわけでもなくて。前に進むためのひとつの手段というか、仕方がないけれど前に進むためにはそう考えた方が気が楽になるように思える。そういう言葉だった。


気持ちが楽になった。


諦めて前に進もう。


それと同時にこれまでひとりだったひとを掬い上げてくれた。ひとりでもいいじゃない。


そういってくれているような。

救われた。


最高だな。


拡張した分、もっと広くたくさんの人を掬い上げてくれた。


最後に。

 

みんなで早く愛を重ね合えるように、生きて抱き合えるように。

これからも『うちで踊ろう』を、そして星野源の想いを抱えて生きていこう。そう思えた夜だった。


2021年もきっと好きでい続けるだろう。