賞レースがもたらすもの

世の中には賞レースというものがあります。

お笑いにせよお芝居にせよ音楽にせよ本にせよ、数々の賞レースが存在します。

 

私はずっとこの賞レースの必要性について考えていました。これって結局のところ最終的に審査員の好みでは?彼らのことをそれぞれ好きだと思う人に評価されればそれでいいのでは?と。

高校で演劇部に入ることを決意して初めて演劇部に大会があることを知りました。勝つか負けるかで言ったらもちろん勝ちたいと考えるのが人間の性なので漠然と地区予選を突破したいという思いは芽生えていながらも、演劇で勝ち負けを決めることに疑問がありました。数人の審査員の好みや感覚によってこの先の進める道が違うのは如何なものかと。そもそも演劇は観客のものであって審査されるべきものなのかと。審査員も観客の1人であるが、例えば審査員以外の観客が全員Aの作品をいいと思っていても審査員がBを評価すればそちらが勝ち上がる。それは正当な評価なのかしらと。もちろん審査員は審査員なりの目線で選んでくれるし講評も的を射たことを言ってくれることもある。的外れなことを言うこともあるが。でも芸術分野における「プロ」って一体なに?どこから?線引きは?と言われると言葉に詰まる人も多いのではと想像するし、例えプロであってもプロの評価が絶対合ってるとも言えない。というか勝ち負けを決めるものなのか?と(2回目)。ありきたりでくさいことを言うとすると、それぞれの心に残り続ける作品ならば、見ているそれぞれが評価をくだせば、それでいいじゃないか。

 

芸術分野に対する真っ当な評価って一体なに!!!って思う。

 

しかし同時に私は毎年のお笑いの賞レースを楽しみにしていました。M-1やKOC、R-1に人生を賭けている人が大勢いることをテレビを通して知りました。賞金が貰えるのはもちろんのこと、やはり地位と名誉が得られる、箔がつくこともこれらの大会に出ることの大きな意味であり、多くの出場者はそれを得るという理由で挑んでいることも。

なるほど箔がつくか。王者の称号か。確かに大事かも。

それからやはり憧れの審査員に評価されることも大きいのだろうなと思います。自分が面白いと思った人に面白いと言ってもらえたらこれほど嬉しいことはない。近年は審査員が神格化されすぎている気もしないでもないこともなくもないが。演劇やってる人はほとんどがラーメンズ好きだし(私調べ)、多分コバケンに評価されてえ、面白いと思われてえと思ってるんじゃないかな(私調べ)。まあともあれ、賞レースが存在する意味の一つはそこにあるのかなと考えました。

 

もう一つ、昨年のM-1を観ていて今更ながら気づいたことがあります。これが本題。

私、最近お笑いに疎くてあまり芸人さんを知らないので、賞レースの決勝戦で初めてみる芸人さんとかも結構いるんです。以前は好きな芸人さんが沢山いて賞レースの一回戦から勝ち上がってるか確認したりしてたんですけれども、最近あまりそこまでしなくなってて、決勝で初めて「こんな面白い人いたの?!」となってるんです。熱心なお笑いファンの方が決勝まで推しを応援している事は知ってるけれど、決勝当日だけチェックする人や、フラッとチャンネルを変えてみたらやってたなんて人も大勢いるんですよね。そして私は毎年決勝戦で推し芸人ができるのが恒例と化してます。

そうなんです、これなんです!!!!!

賞レースで勝ち上がると、たくさんの人の目に触れるんです!!!!!!

観てる人の母数が増えると好きになる人も増えるわけです。当たり前すぎるくらい当たり前のことなんですが、今まで全く気付いていませんでした。なんせ、自宅のテレビの前にはせいぜい家族4人しかいないもので、国民が見ているという意識があまりありませんでした。

 

もちろん観てる人が増えれば好まない人も増えますが、その人たちは今後それに触れなくなるだけで、好んでいる人が減るわけではない。マイナスにはならないわけです。つまりプラスでしかないんです。至極当たり前ですね。

私の中で毎年推し芸人が増えていくということは、プラスなんですね。

もっと言えば、予選でだってファンは増えるんですよね。予選でたくさんの人の目に触れた上で決勝でまた多くの人に見てもらえる。そうか!賞レースに出る意味ってこれもでかいな!!と気付いたわけです。

 

演劇部の大会もそうで、勝ち上がれば勝ち上がるだけ、観てくれる人が増える。単純に全部の会場のキャパが1000だったら、地区予選で1000人、県大会で+1000人、ブロック大会で+1000人、全国大会で+1000人というように勝ち上がれば勝ち上がるだけ観てくれる人が増えるし、高校演劇の大会は全国最優秀賞を獲るとテレビで放送もされるんです。それに多分全国大会の会場はでかい。地区と比べ物にならないくらいでかいんですよ。そらあ評価されて勝ち上がっていけば見てくれる人が単純に増えるし、好んでくれる人も増えるわけです。評価が真っ当かどうかって、ていうか真っ当な評価ってなんなのか、今でも正直わからないけど、上がれれば上がれるだけファンが増える。いや冷静に考えればステージが上がればファンが増えるなんて誰が考えてもそうなんですけどね(笑)

 

書籍もそうです。本屋で立ち読みには限界がありますから、やはりなにかしらを受賞した作品に目がいくもので。きっと読書家の方なら「わたしが好きなこの人が面白いというなら読んでみよう」となるでしょうし、そうでなくても賞を獲ったとなればちょっと読んでみるかね、となる。

 

この間、オズワルドと真空ジェシカ観てて思いました。って話でした。めちゃめちゃ面白かったなあ。ファンになりました。

 

ちなみに、なんですが。

賞レースの難しいところって、世間の評価、審査員の評価、自分のやりたいことの三点の齟齬をどう埋めるかなんですよね。

お笑いの大会を見ていて本当に毎回毎回毎回なのですが、私が好きだと思う芸人さんが最終決戦まで9割方いかないんですよ。もっと評価されてもいいのに!とか思っちゃうんですけど、多分あれって審査員が見ているところと私たちが見てるところが違うから、もっと評価されてもいいのに!って審査員にいうべきでなく、世間的にみんなが好きならいいじゃん?っていう。最初の話に戻りますけど、正当な評価とはなにかとか、審査員が評価すべきものなのかとかそういう話になってきちゃうのでね。決勝までは審査員の好みに合わせて作り込んで、決勝で自分のやりたいことや世間のウケに全振りするのもありなんよな〜と思いました。高校演劇だと全国まで同じ作品を持っていくので出来ないけど。

 

スポーツとはまた違って難しいね。

でも面白いね。そしてやっぱり評価されるって嬉しいものですよね。