趣味と仕事

趣味を仕事にするにはどれだけの努力が必要なのだろう。

 

芸術分野を志す人間において、目指す仕事を“最初から”仕事にするぞと考える人は少ないと思う。大抵はそれが好きで趣味として楽しんでいたものをある時から仕事にしたいと考え始めることが多いのではないだろうか。

と、いいつつ、私は突拍子もなく、そしてなんの助走もなしに演劇の道を志したので上記には当てはまらない稀有な存在かもしれないが。

それはさておき、今まで趣味としてのみ楽しんでいて仕事にしようなどとは一度も思ったことのなかった文章と写真をこれまた突拍子もなく仕事にしたいと思うようになった。片手間でできるほど楽な仕事ではないことは重々承知しつつ、自分の強みが増えたらいいなという淡い期待を抱いている。

 

趣味から仕事にしたいと志が変わった時には、目指す方向が変わるだろうし、努力の仕方もそれなりに変えなければならない。「人生遅すぎることなんてない」とはいうが、目指し始めるのは早いに越したことはない。プロになりたいと思うのが早ければ早いだけ鍛錬できる時間も経験を積む時間も増える。「仕事にしたいです!」は言ったモン勝ちだと思う。私は「この人と仕事したいんです〜!」「こういう仕事したいんです〜〜!!」はバンバン口に出すようにしている。

 

ところで、文章の仕事も写真の仕事も、正直どのように仕事にすればいいのかはよくわかってない。なのでとりあえず文章をネットに上げて、文章を仕事にしたいんです〜〜って叫んでいる。写真はこれから練習を積もうと思っている。出来ないより出来た方がいい精神です。それが誰に届くのかはよくわからないし目指し方としては多分間違ってる気がする。でも言わないより言うほうが誰かに届く可能性は少しばかり増える。宣言すりゃあいいってもんでもないけどとりあえず口に出す。

 

インプットとアウトプットの仕方なんて今の時代数えきれないほどある。努力の仕方も人それぞれだし、ひとりひとり吸収と発信の仕方も向き不向きがあるので一概に何がいいとも言えない。だから努力の仕方もよくわからないでいる。今、世の中には私なんていなくても既に感動するコンテンツは溢れかえっていて、私が新たに誰かを感動させることのできるコンテンツを生み出せる可能性なんて皆無に近いのである。それでも身近な人にだけでもこの人の努力の結果を仕事として必要としたいと思ってくれる人がいるなら喜んで努力したい。私はいろんなものをあれもやりたいこれもやりたいとつまみ食いしてはすぐに飽きてしまうタチなのだけど、仕事にできたら多分続く。と思う。

 

趣味から仕事への転向なんて、甘くない。でも、片手間にだとか副業でだとかではなく全部本業全部人生の本筋として、自分のできることを増やして必要とされる面を増やせたらいいな〜楽しいな〜とこの期に及んでまだ楽観的にいるのである。

2022年

今年初めの3ヶ月、激動の日々で、それもほぼいい思い出はないんだけど、唯一自分のやりたいことをやれる場所に身を置けることになった。

今年度に入ってからはとにかく日々を必死に生きてて、やりたいことをやれてる楽しさと、ついていけていない悔しさとを感じながら生活。

でも楽しいが勝ってたな。それは今も。

いい出会いにも恵まれて、人の優しさに触れて、少しだけ前向きな自分になれてる。

いつかこの場所で出会った人にも胸を張って「私はいまこんなことを頑張ってます!」と言えるように、今は食らいついて頑張っていきたい。

いつか私の活動をご報告させてくださいね。

ルーツ

良いことも悪いことも、やってきたことも人との出会いも、全てが今の自分を創り上げた、いわばルーツだなと思う。

 

去年も今年も年始早々に挫折を経験して、それでも手を差し伸べてくれた人の多いことに感謝をして生きてる今がある。

 

嫌なことをされた過去を美化するつもりはさらさらないけど、嫌なことをされたのも含めて今の自分を形成しているのだとしたら、そして今の自分がなんとか幸せを感じて生活できているのなら、それもまたルーツなのだといえよう。

 

好きな音楽に出会ったこと、好きな演劇に出会ったこと、趣味を通じて出会った人、その人が私を褒めてくれたこと、もう会えない人、また再会を望む人。全部全部自分なんだなあって。

 

これからもっとステップアップしていくにあたって、もっと沢山の“ルーツ”を得て、いろんなものに触れて道を開いていくことができたなら、そして「私はこの人のルーツとなった存在なんだよ」と胸を張って言ってもらえるような存在に自分がなれたら。

賞レースがもたらすもの

世の中には賞レースというものがあります。

お笑いにせよお芝居にせよ音楽にせよ本にせよ、数々の賞レースが存在します。

 

私はずっとこの賞レースの必要性について考えていました。これって結局のところ最終的に審査員の好みでは?彼らのことをそれぞれ好きだと思う人に評価されればそれでいいのでは?と。

高校で演劇部に入ることを決意して初めて演劇部に大会があることを知りました。勝つか負けるかで言ったらもちろん勝ちたいと考えるのが人間の性なので漠然と地区予選を突破したいという思いは芽生えていながらも、演劇で勝ち負けを決めることに疑問がありました。数人の審査員の好みや感覚によってこの先の進める道が違うのは如何なものかと。そもそも演劇は観客のものであって審査されるべきものなのかと。審査員も観客の1人であるが、例えば審査員以外の観客が全員Aの作品をいいと思っていても審査員がBを評価すればそちらが勝ち上がる。それは正当な評価なのかしらと。もちろん審査員は審査員なりの目線で選んでくれるし講評も的を射たことを言ってくれることもある。的外れなことを言うこともあるが。でも芸術分野における「プロ」って一体なに?どこから?線引きは?と言われると言葉に詰まる人も多いのではと想像するし、例えプロであってもプロの評価が絶対合ってるとも言えない。というか勝ち負けを決めるものなのか?と(2回目)。ありきたりでくさいことを言うとすると、それぞれの心に残り続ける作品ならば、見ているそれぞれが評価をくだせば、それでいいじゃないか。

 

芸術分野に対する真っ当な評価って一体なに!!!って思う。

 

しかし同時に私は毎年のお笑いの賞レースを楽しみにしていました。M-1やKOC、R-1に人生を賭けている人が大勢いることをテレビを通して知りました。賞金が貰えるのはもちろんのこと、やはり地位と名誉が得られる、箔がつくこともこれらの大会に出ることの大きな意味であり、多くの出場者はそれを得るという理由で挑んでいることも。

なるほど箔がつくか。王者の称号か。確かに大事かも。

それからやはり憧れの審査員に評価されることも大きいのだろうなと思います。自分が面白いと思った人に面白いと言ってもらえたらこれほど嬉しいことはない。近年は審査員が神格化されすぎている気もしないでもないこともなくもないが。演劇やってる人はほとんどがラーメンズ好きだし(私調べ)、多分コバケンに評価されてえ、面白いと思われてえと思ってるんじゃないかな(私調べ)。まあともあれ、賞レースが存在する意味の一つはそこにあるのかなと考えました。

 

もう一つ、昨年のM-1を観ていて今更ながら気づいたことがあります。これが本題。

私、最近お笑いに疎くてあまり芸人さんを知らないので、賞レースの決勝戦で初めてみる芸人さんとかも結構いるんです。以前は好きな芸人さんが沢山いて賞レースの一回戦から勝ち上がってるか確認したりしてたんですけれども、最近あまりそこまでしなくなってて、決勝で初めて「こんな面白い人いたの?!」となってるんです。熱心なお笑いファンの方が決勝まで推しを応援している事は知ってるけれど、決勝当日だけチェックする人や、フラッとチャンネルを変えてみたらやってたなんて人も大勢いるんですよね。そして私は毎年決勝戦で推し芸人ができるのが恒例と化してます。

そうなんです、これなんです!!!!!

賞レースで勝ち上がると、たくさんの人の目に触れるんです!!!!!!

観てる人の母数が増えると好きになる人も増えるわけです。当たり前すぎるくらい当たり前のことなんですが、今まで全く気付いていませんでした。なんせ、自宅のテレビの前にはせいぜい家族4人しかいないもので、国民が見ているという意識があまりありませんでした。

 

もちろん観てる人が増えれば好まない人も増えますが、その人たちは今後それに触れなくなるだけで、好んでいる人が減るわけではない。マイナスにはならないわけです。つまりプラスでしかないんです。至極当たり前ですね。

私の中で毎年推し芸人が増えていくということは、プラスなんですね。

もっと言えば、予選でだってファンは増えるんですよね。予選でたくさんの人の目に触れた上で決勝でまた多くの人に見てもらえる。そうか!賞レースに出る意味ってこれもでかいな!!と気付いたわけです。

 

演劇部の大会もそうで、勝ち上がれば勝ち上がるだけ、観てくれる人が増える。単純に全部の会場のキャパが1000だったら、地区予選で1000人、県大会で+1000人、ブロック大会で+1000人、全国大会で+1000人というように勝ち上がれば勝ち上がるだけ観てくれる人が増えるし、高校演劇の大会は全国最優秀賞を獲るとテレビで放送もされるんです。それに多分全国大会の会場はでかい。地区と比べ物にならないくらいでかいんですよ。そらあ評価されて勝ち上がっていけば見てくれる人が単純に増えるし、好んでくれる人も増えるわけです。評価が真っ当かどうかって、ていうか真っ当な評価ってなんなのか、今でも正直わからないけど、上がれれば上がれるだけファンが増える。いや冷静に考えればステージが上がればファンが増えるなんて誰が考えてもそうなんですけどね(笑)

 

書籍もそうです。本屋で立ち読みには限界がありますから、やはりなにかしらを受賞した作品に目がいくもので。きっと読書家の方なら「わたしが好きなこの人が面白いというなら読んでみよう」となるでしょうし、そうでなくても賞を獲ったとなればちょっと読んでみるかね、となる。

 

この間、オズワルドと真空ジェシカ観てて思いました。って話でした。めちゃめちゃ面白かったなあ。ファンになりました。

 

ちなみに、なんですが。

賞レースの難しいところって、世間の評価、審査員の評価、自分のやりたいことの三点の齟齬をどう埋めるかなんですよね。

お笑いの大会を見ていて本当に毎回毎回毎回なのですが、私が好きだと思う芸人さんが最終決戦まで9割方いかないんですよ。もっと評価されてもいいのに!とか思っちゃうんですけど、多分あれって審査員が見ているところと私たちが見てるところが違うから、もっと評価されてもいいのに!って審査員にいうべきでなく、世間的にみんなが好きならいいじゃん?っていう。最初の話に戻りますけど、正当な評価とはなにかとか、審査員が評価すべきものなのかとかそういう話になってきちゃうのでね。決勝までは審査員の好みに合わせて作り込んで、決勝で自分のやりたいことや世間のウケに全振りするのもありなんよな〜と思いました。高校演劇だと全国まで同じ作品を持っていくので出来ないけど。

 

スポーツとはまた違って難しいね。

でも面白いね。そしてやっぱり評価されるって嬉しいものですよね。

2022

あけましておめでとうございます。

もう年明けて3日も経ってしまいました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。

晦日はお笑いと紅白を交互に観て

星野源の「不思議」を観ながら兄に「これはCMの曲?」と問われ、これはドラマ主題歌だと答えると「最近洗剤のCMか何かだった」と言い張るので「肌」を聴かせたところ「そうかも。これかもしれない」と言われて何年前の話しとるんよ!!!!!!と思いながら同時に4年経ったのか...と時の流れを強く感じ落ち込みました。あの頃私はまだ10代でした。

家族が一堂に会して幸せな年末年始でございました。

MIU404一挙放送、さすがにリアルタイムでは観られませんでしたが録画して昼間に一気見しました。面白かった。改めて素晴らしさが沁みました。

そもそもドラマを観ないのでMIU404で時が止まっています。今でも一番好きなドラマです。その前までは逃げ恥で時が止まっていました。あれも素晴らしいですね。どちらも脚本完璧すぎんか???改めてまた文章にしてまとめたいこの素晴らしさ。

 

良い年初め、良い“源初め”でした。

2021楽しかった。源さんを追うのが。

2022もゆっくりマイペースによろしくお願いします。

今年は綾野剛さん星野源さんの出演作をたくさん観る、というかドラマ映画の観る本数を底上げ、あと本を読む、勉強する。うん。頑張ります。

わたしはわたし

なんだか最近とても疲れる。

人のことが羨ましく思えるし、自分は何もできてないと悲観的になる。実際何もできていないのだけど。なんか虚しいんです。何がかはわからないけどなんか、空っぽで。

みんなはちゃんとできることがわたしにはできない、なんてのは今までも散々あって、同い年の人と比べられたりするたびに足並みが揃ってないなって自覚がある上に他人からも指摘される。通知表には「もっとがんばりましょう」。

最近、他人の立ってるフィールドが気になって、羨ましくて仕方がない瞬間がある。

きっと私は一生かけてもその場所にはたどり着けない、立てない、手が掛かることもないんだろうな。でも羨ましい、届きたい立ちたいあそこからの景色が見たい、って。

私はそこに届かないって思ってた。

でも多分、届かないとかではなくて、向こうが上で私が下でというわけでもなくて、ただ本当に戦うフィールドが違うんだよなって思った。

立ちたきゃそこに向かって戦いに行けばいいだけで、私は戦いに行ってなかっただけで。

向かっていけばチャンスはあるのに怖いから避けてただけだったなあと。

他人は他人、わたしはわたし。

わたしは本当にそのフィールドで戦いたいのか?わたしはもっと向かいたい別の場所があるのではないか?

わたしはわたし。

もっと考えて、悲観的にならずに、いきたいものだなと思ったわけです。

羨ましがるのやーめた。

「Nothing」が好きだ

源さんの「Nothing」が好きです。

 

正直バラード的な曲って第一印象で好きになることが少なく、例に漏れずこの曲も「めちゃめちゃ好き!」とはなりませんでした。

 

が、なにがきっかけか、気づいたらすごく好きな曲になっていました。思い出せん。多分、曲の解説をラジオでされてたのをネットで読んだのかな。

 

なにが好きか。

・歌詞が綺麗

・情景が浮かぶ

・あたたかい

 

この3点かなと思います。

 

「夜を看取った 空に種火が まだ街角は眠ったまま静かに」

「街は怒りと 夢を注いだ ああうんざりだ僕らは ただの器だ」

 

えっ、えっ、綺麗すぎませんこの歌詞????

美しくない?????しかも情景浮かぶ。抽象的な表現なのにまぶたの裏に浮かぶ景色。

なにこの曲天才じゃ...???と思いながらいつも聴いてます。

 

自分にはなにも誇れることがないなあっていつも思っている自分にずぎゅーん刺さりまくるサビも好きです。愛おしい誰かのことをただ愛おしいと思うことを歌ってるのまじで最高に好き。あー好き。まじこの曲すき。愛おしいこの命永遠なれ、と思う。

 

「朝陽が昇ってー」っていう歌だけど夜星空見上げながら聴くのまじで涙でるからやってみて。

 

毎度新鮮にドキドキするというか、気持ちが動くんですよね、この曲聴くと。それってすごいことだよなあ。

 

子どもほしいという願望はないけど子どもできたらこの曲聴いて泣くんだろうな。って最近思った。